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テオドラ (東ローマ女帝) : ミニ英和和英辞書
テオドラ (東ローマ女帝)[みかど]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [じょ]
 【名詞】 1. woman 2. girl 3. daughter
女帝 : [じょてい]
 (n) empress
: [みかど]
 【名詞】 1. (1) emperor (of Japan) 2. mikado 3. (2) (the gates of an) imperial residence 

テオドラ (東ローマ女帝) : ウィキペディア日本語版
テオドラ (東ローマ女帝)[みかど]

テオドラギリシア語:、995年 - 1056年9月初頭)は、東ローマ帝国マケドニア王朝女帝(在位:1042年1055年 - 1056年)。コンスタンティノス8世の三女で、ゾエの妹に当たる。
ミカエル5世の追放後、姉のゾエと共に女帝として即位したが、わずか2ヵ月後に退位した。
1055年、コンスタンティノス9世モノマコスが病死した後、女帝として再び即位した。しかしその翌年の8月31日に病気になり、数日のうちに死去してしまった。テオドラには嗣子がなかったため、ここにマケドニア王朝の血筋は断絶した。死後、テオドラの遺言により、その養子で元老院議員であったミカエル6世ストラティオティコスが皇位に即位することとなった。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「テオドラ (東ローマ女帝)」の詳細全文を読む




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